経済や文化の中心地、博多で生まれた人形
九州の経済や文化の中心地として栄えてきた博多。古くから中国や朝鮮半島との貿易拠点として国際交流が盛んで、独自の文化や風習を育んできました。
食の中心地としても有名で、濃厚な豚骨スープが特徴の博多ラーメンや、土産品として人気の明太子、もつ鍋や水炊きなどで知られています。
桜の名所として毎年多くの人で賑わう福岡城は、1600年に関ヶ原の戦いで徳川家康に味方して勝利に貢献した福岡藩初代藩主、黒田長政によって築城されました。
そこで「福岡」という名前が生まれましたが、地元では今でも「博多」という名前が親しまれています。
そんな博多で誕生した「博多人形」は、黒田長政の筑前入国に伴い集められた職人によって作られた素焼きの人形がルーツだと考えられています。
表情と題材に富む全国“初”の伝統工芸品
博多人形は素焼きした土の人形に一つ一つ手作業で着色しています。
上薬を塗らないため、土の温かみがあります。また、そのリアルで豊かな表情と、落ち着いた彩色、繊細な彫り込みなどが特徴です。
人形の分野は多岐にわたり、美人ものや歌舞伎もの、能もの、童ものなどが代表的です。
他にも五月人形や雛人形、縁起物、干支などがあり、多彩な表情を見せています。特に、しなやかな着物姿の女性を描いた美人ものは優美さや艶が際立っており、人気を集めています。
季節を豊かに感じられる博多だからこそ、季節とともに表情を変える様々な人形たちが生まれてきました。
そんな表情に富む博多人形は、1976年に全国で初めて、人形の部の「伝統工芸品」に指定されました。
世界で高く評価される博多人形の変遷
約400年前に礎がつくられた博多人形。江戸時代の後半には、正木宗七や中の子吉兵衛、白水武平といった名工たちが活躍し、現代の博多人形の土台が築かれて全国に流通するようになりました。
1910年代に入ると、彫刻や人体解剖学の学びが人形に反映され、現在の実写的で理想美・鑑賞美を重視したスタイルが確立。
1925年にパリで開催された国際博覧会では、博多人形師の小島與一氏の作品「三人舞妓」が銀賞を受賞し、「ハカタ・ドール」として世界に名を知らしめました。
今では日本を代表する人形として海外にも輸出されるようになり、国内外で贈り物などとして重宝されています。
博多の民謡では「博多に来る時ゃ一人で来たが、帰りゃ人形と二人連れ」と歌われるほどに、土産品として愛されてきました。
熟練した職人が受け継ぐ伝統技法の工程
博多人形が完成するまでには、おおよそ1ヶ月から3ヶ月の時間がかかります。
完成までは伝統的技法によるいくつもの工程を必要とし、大きく「原型」、「型とり」、「生地づくり」、「焼成」、「彩色」、「面相」の六つに分けることができます。
原型では作者の構想とデッサンに基づいて粘土で原型を作ります。次に、石膏で原型の型を取ります。細かく複雑な作品はパーツを分けて型とりをします。
生地づくりでは原型から取った石膏型に粘土を張っていきます。パーツを分けた粘土同士をくっつけるためには粘土と水を溶かした「ドベ」を糊のように使います。
焼成では850度から950度の高温で焼いていきます。人形が空洞なのは、焼いた時の破裂を防ぐためです。
彩色・面相では、職人が手作業で丁寧に人形に色を塗っていきます。質感をリアルに表現するために、必要に応じて絵の具を変えたり、金箔張りをしたりします。人形に息が吹き込まれる工程です。
このようにして博多人形は、熟練した職人が一つ一つ丹精を込めて作り上げているのです。
伝統的で斬新な博多人形に触れてみよう
博多の街角では様々なところで博多人形に出会うことができます。
博多地区で毎年7月に開催される伝統的な祭り「博多祇園山笠」で使われる山笠「飾り山」と「舁き山(かきやま)」の飾り人形を制作するのも博多人形師です。
今日では、博多人形の伝統を守りつつ、時代に合わせた斬新な商品も誕生しています。
博多随一の老舗、人形のごとうでは、ハワイアンな人形や有名歌手とコラボしたフィギュア、注文者が依頼した人物とのそっくり人形など、オリジナル博多人形にも力を入れており、ネットから作品を注文することができます。
博多の暮らしと文化を発信している博多町家ふるさと館では、金曜日から月曜日まで博多人形師による絵付け体験を実施しています。
これまで多くの人を魅了し癒してきた博多人形。あなたもその温かさに触れてみてください。
紡ぎ手:Muta Yuka