江戸が生んだ光の芸術「江戸切子」
光の屈折と反射を巧みに操る器、切子。
その呼び名は、立方体の角を切り落とした「切り籠(きりこ)型」に由来するとも言われています。
「江戸切子」「薩摩切子」は、日本土産としても高い人気を誇る工芸品です。
なかでも、江戸切子は江戸切子協同組合の登録商標であり、同組合が指定した江東区を中心とした関東一円の指定区域でつくられたものだけが江戸切子と呼ばれます。
東京都産業労働局によれば、現在、東京における切子工場は江東区と墨田区に全体の8割が集中しているとのこと。
1985年に東京都指定伝統工芸品に指定、また2002年には経済産業大臣指定伝統的工芸品として認定され、現在も国内外から高い評価を浴びています。
日本人の心を魅了したビイドロの美しさ
ガラスとその製造技術が日本に伝わったのは、約2,000年前。地中海沿岸からシルクロードや海路を渡り、中国を経て伝来したと言われています。
日本におけるガラス作りは、弥生時代には勾玉などが作られていたものの、平安時代には一度衰えます。
長い空白を経て、16世紀ごろからスペインやポルトガル、オランダなどから輸入される眼鏡やフラスコなどのガラス製品に刺激を受け、ガラス作りが再び行われるようになりました。
この頃に舶載品として届くガラスは多くの日本人の心を魅了し、ポルトガル語でガラスを意味する「vidro」を語源とする「ビイドロ」の名で呼ばれ、西洋文化の象徴として親しまれていきました。
繊細な彫りを施したカットガラスはオランダ語の「diamant」に由来し 「ギヤマン」と呼ばれ、同じくこの時期に日本に伝わってきていました。
江戸人が彫り上げた初の切子
1720年の西川如見著とされる随筆集『長崎夜話草』には、長崎土産としてビイドロが紹介されていることから、この頃にはすでに長崎でガラス作りと販売が盛んに行われていたことが伺えます。
やがて、その製造技術は大阪、江戸、薩摩などへ広がっていきます。
江戸で切子ガラス作りが始まったのは1834年。
ガラスの製造販売を行なっていた加賀屋久兵衛という人物が、大阪でビイドロ製造法を学んだのちに、ガラス彫刻を施したことから江戸での切子作りが本格的に開始したと言われています。
当時は、金属製の棒状工具と金剛砂(こんごうしゃ)という石を砕いた研磨剤を用いて手で削り上げていったのだそうです。
そして明治時代、江戸切子の技術は大きく発展します。
明治の維新政府から技術指導の要請を受けて、1874年から1881年にかけてガラス製造の専門技師である英国人4名が来日したのです。
そのうち、“江戸切子の父”と呼ばれるのがボヘミアガラスで知られるボヘミア地方に生まれたエマニュエル・ホープトマン氏です。
十数名の日本人がその指導を受け、現代に通ずる江戸切子のガラス工芸技法が確立されていきました。
輝きを巧みに混ぜ合わせる職人の技
江戸切子作りは、文様の位置を一応決め、彫刻の目安となる線を引く「割り出し」から始まります。
その後、彫刻に使うのは人造ダイヤ。円盤の周囲に人造ダイヤのついたホイールで文様を掘り出す「粗摺り」を行います。
掘った溝を広げる「二番摺り」「三番摺り」を重ね、より細かなカットを施していきます。
山の高低で光の屈折にメリハリをつけることで、いろいろな輝きを混ぜあわせていく重要な高低です。
そして触れた時にもなめらかな手触りとなるよう、堀跡の表面を砥石でなめらかにする「石掛け」を行い、光沢を出すため木盤や樹脂パッドなどを用いて全体の「磨き」を行い、江戸切子の完成となります。
「無色透明の光」を愛した江戸の心
ガラスが光を浴びて返す輝きと透ける色の濃淡は、切子ならではの美しさ。
魚の卵をモチーフとした「魚子文」や麻の葉を敷き詰めた「麻の葉文」など、江戸切子の代表的な文様は、江戸らしいミニマルながら職人の腕が試されるものが多く見られます。
現代の江戸切子は色付きも多く見られますが、江戸時代に作られた江戸切子はすべてが無色透明。
当時の江戸では、無色透明な切子でなければ見向きもされなかったとも言われています。
繊細な彫りの技が見せる透明な輝きをこよなく愛していたというのは、なんとも粋好みな江戸人らしいエピソードです。
触れた瞬間、その輝きは心に刻み込まれる
光の芸術である江戸切子は、毎年春には、銀座で日本最大の江戸切子のイベント「江戸切子桜祭り」が開催されています。
伝統工芸士から若手作家まで渾身の一作が集う江戸切子新作展や江戸切子体験ワークショップ、直売会など、人気の催しが盛りだくさん。
伝統を継承し、現代の感性で切り出される江戸切子の魅力を体験できる貴重なイベントです。
江戸切子協同組合では、オンライン販売も行っています。ミニグラスやぐい呑み、タンブラーやオールドグラスなど、種類は様々。
いつもの日常を繊細な光で彩れば、見慣れた景色も違う表情に見えるかもしれません。
静謐な光を放つ、江戸で生まれたガラスの芸術。かつて江戸の日常を彩った輝きは、これからも世界中の人の心に美しさを刻み込み続けていくのでしょう。
紡ぎ手:田口 友紀子