400年の歴史をもつ陶磁器の町 波佐見町
長崎県の中央部、佐賀県との県境に位置する東彼杵郡波佐見町。
緑の山々に囲まれた盆地に、れんが造りの古い煙突がぽつぽつと建っている、どこか懐かしい雰囲気が漂う陶磁器の町です。
そんな自然豊かな波佐見町で生まれた波佐見焼の歴史は400年に上ります。
磁器の原料「陶石」がとれる町とし17世紀初めに磁器の生産を始め、燃料となる木や製土に必要な水が揃う地理的優位性の中で発展してきました。
中尾山登窯跡は、全長160メートル、幅7メートル、33室という世界最大級の窯でした。全盛期の江戸時代には、このように巨大な登窯が8器もあり、庶民向けの「くらわんか」と呼ばれる器や、醤油や酒を入れる瓶「コンプラ瓶」など、かなりの数のやきものを生み出していました。
日常に溶け込む波佐見焼
波佐見焼は、全国的に知名度の高い有田焼の産地と隣接しています。しかし、隣接する有田焼の華やかな絵付けとは対照的に、波佐見焼はシンプルで日常使いに向いているため「知らずのうちに普段の食器として使っていた」なんてこともあるほど。波佐見焼はそれほど私たちの生活の中に深く溶け込んでいます。
そして、それは江戸時代から変わらず続いてきました。安い日用食器「くらわんか」は、ほとんどが波佐見の巨大窯でつくられ、「江戸時代の大ベストセラー」ともいわれています。素朴なデザインで、流行に合わせて文様や形を変化させていきながら、江戸時代の庶民に広く受け入れられていきました。実際、全国各地の当時の遺跡からは、ほぼ例外なく波佐見焼が出土しているそうです。
現在、私たちが当たり前のように磁器を使っているのは、江戸時代の波佐見焼の大量生産により庶民に普及したからだといえます。
大量生産を可能にする分業制
波佐見町は人口1万5000人ほどの小さな町。そこで現在、日本の日常食器の約16%がつくられています。
波佐見焼の大量生産を可能にしているのが「分業制」です。
波佐見町では、型屋が器の原型となる石膏型を作り、生地屋が型から生地を作り、窯元が生地を焼いたり絵付けしたりし、商社が検品・出荷をするなどと、分業することでそれぞれが専門性を生かしながら一つの製品をつくっています。
分業制によって各工程の専門性と技術が高く、質の高い製品を効率的につくることができます。
そのため波佐見焼は、質の高い製品がお手頃な価格で入手できると注目されています。
時代とともに進化し続ける波佐見焼
「時代とともに進化する波佐見焼」をコンセプトに掲げる波佐見町。トレンドを先取りしながらカジュアルで使いやすい日用食器を多く生産する姿勢は江戸時代から受け継がれる波佐見焼の特徴とも言えます。
戦後には現在の「長崎県窯業技術センター」が波佐見町に開設され、新しい窯業の研究や指導の支援体制ができました。
特に近年は、多様化するニーズに迅速に対応できるよう、デジタル技術を駆使した製品づくりにも取り組んでいます。例えば3Dプリンターを導入することで商品開発期間を短縮できるメリットを地域の窯元に広め、支援もしているそうです。
産官学が連携し、時代の変化に敏感でりながら、要望に応えて進化を続けています。
器と客で町がにぎわう陶器市
毎年ゴールデンウィーク期間中には、町内約150の窯元・商社が出店する 波佐見陶器まつり が開催されます。波佐見町のほぼ真ん中に位置する「やきもの公園」を中心に、町にはモダンでカラフルな波佐見焼の商品がずらりと並びます。
日用食器だけでなく陶器でできたアクセサリーなど珍しい商品まで、多くが通常より3−4割ほど安く手に入るため、全国各地から人々が訪れてにぎわいます。
商品を自由に手に取り見比べたり、出店者と会話したりしながらお気に入りを見つけられるのが醍醐味です。絵付け体験(無料)もできます。
同時期には隣町の有田町(佐賀県)でも「有田陶器市」が開かれるため、両町ではしごする方も多くいます。
陶器市は多くの人に波佐見焼の魅力を発信するイベントとなっています。
どこにいてもお気に入りが“そば”にある
一時期は無名だった波佐見焼ですが、近年は若者を中心に人気を集め、メディアで紹介される機会も増えました。
波佐見焼は窯元ごとに製品の“色”があり、波佐見焼振興会の ホームページ では、窯元・商社の紹介がされています。ぜひ見比べて、ご自身のお気に入りを見つけてみてください。
また、コロナ禍をきっかけにオンライン陶器市が企画されるなど、波佐見焼はオンラインでも手に入りやすくなりました。 エンニチ や マルヒロ では、時期によって陶器市も開催されており、いつでも波佐見焼のオンラインショッピングを楽しむことができます。
長い歴史の中で、いつも私たちのそばにあった波佐見焼。時代とともに進化を続けるおしゃれで使いやすい波佐見焼は、あなたの生活に彩りを添えてくれるでしょう。
紡ぎ手:Muta Yuka