【からむし織】600年の歴史 本州で唯一のからむし産地から【福島県 昭和村】

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人口1,155人の福島県昭和村と “からむし”

福島県の西南部、1927年に野尻村と大芦村が合併して “昭和村” が誕生しました。
奥会津の中でも、最も自然環境の豊かな昭和村。村の9割が山で湿原や渓谷、池などが点在していて村の南には国指定の天然記念物 “駒止湿原” があります。広大な自然に囲まれた村の人口は1,155人です。(2023年9月時点)
そんな昭和村において、本州で唯一生産されているものがあります。
それが「からむし」です。
みなさんは “からむし” をご存知でしょうか?
その響きから “虫” と思われた方もいるかもしれませんが、“植物” です。
麻の一種で、この繊維で織られた布は湿気をよく吸うので、高温多湿の日本の夏にはぴったりの素材です。

600年前からつづく からむし栽培

昭和村でからむしが栽培されるようになったのは室町時代、およそ600年も昔から始まったと言われています。江戸時代になるとユネスコ無形文化遺産に登録されている越後の小千谷縮や越後上布の材料としても用いられるようになりました。
昭和村でつくられる “からむし織” は、からむしの栽培から糸づくり、織りまでの工程が昔から変わらず全て手作業で行われています。
丹念な手作業でつくられるからむし織は、肌から熱を放出させるその着心地から “氷をまとったような涼しさ” と形容されています。

からむし織ができるまで〜高度で繊細な工程〜

からむし織はどのようにつくられるのでしょうか。
まず、5月中旬にからむしの根を20〜30cm切って植え付け、5月下旬に焼畑を行います。焼畑には、品質を均一にして芽をそろえ、害虫を駆除する役割があります。
自然のまま生長したからむしは7月下旬ごろから刈り取られ、葉を取り除いて茎だけにします。
その茎の皮をはぎ取って表皮と繊維に分けるのですが、この作業は「苧引き(おびき)」といって専用の道具を用いた大変高い技術が伝承されています。
苧引きでとれた繊維をよく乾かして糸にすることを「苧積み(おづみ)」といいます。帯1本分の苧積みには、縦糸でおよそ2ヶ月、横糸でおよそ1ヶ月半もかかります。
こうしてできた糸が機(はた)で丁寧に織られ、からむし織が完成します。 1反を仕上げるまでには数ヶ月かかることもあるそうです。からむし織はその1品1品に熟練の技術と大変に強い根気そして、つくり手の思いがしっかりと詰まっています。

村の人々の熱い思いで伝統が継承されてきた

丹念な手作業が継承され600年以上の歴史をもつ「からむし織」ですが、その存続が危ぶまれる時期がありました。
大正から昭和にかけて、戦争や工業化の波によりからむし栽培はどんどん衰退していきました。
このままでは昭和村の伝統がなくなってしまうと危惧した村の人々は、このままではいけないと熱い思いをもって農協を中心として広報活動を展開しました。
その活動が実り、からむし織は福島県の重要文化財に指定され、からむし生産は福島県選定保存技術に認定されました。
さらに1991年にはからむし生産と苧引きが国選定保存技術に認定され、昭和村からむし生産技術保存協会が保持団体として認定されました。
からむし織は、昭和村の人々の熱い思いによって伝統が守られ今日に至っているのです。

次の世代へつなげる “からむし織体験生「織姫・彦星」事業”

1994年から昭和村では、次世代へからむし織の伝統をつなぐため「からむし織体験生『織姫・彦星』事業」を行っています。
毎年5月から次の年の3月までおよそ11ヶ月間、昭和村に滞在してからむし織を体験できる事業です。からむし織に興味があって、山村生活に関心のある18歳以上の人なら誰でも応募ができます。
体験生を終えた後も「からむし織研修生制度」があり、現在約30名の修了生が昭和村に定住しています。
また、手軽なからむし織体験として「道の駅 からむし織の里しょうわ」のコースターづくりがあります。

村をあげて次世代を育て伝統をつないでいく。

からむし織という1つの工芸品の背景には、豊かに紡がれてきた人々の営みがあります。

紡ぎ手:かいな

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