【久留米絣】少女の発見から始まり広まった淡くかすれた綿織物【福岡県 久留米市】

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肥沃な大地と豊かな水に恵まれたまち久留米

古くから米や果物、野菜が多く実る九州一広い平野、筑後平野。そこには九州最大の筑後川が悠々と流れ、長い月日の中で人々の生活と文化に深く関わってきました。
その筑後平野のほぼ中央に位置する久留米市は、福岡市、北九州市に次いで、人口約30万人が暮らす中核都市です。
江戸時代には有馬藩の城下町として栄え、明治4年の廃藩置県で久留米県が設置され、明治22年の市政施行により久留米市が誕生しました。
そんな久留米市はものづくりの精神が受け継がれたまちであり、そのうち国の重要無形文化財と経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されているのが久留米絣(くるめかすり)です。

200年前の少女によって発案されたかすれ模様

久留米絣は久留米市を中心とした筑後地方一帯でつくられている綿織物で、広島県の備後絣(びんごかすり)、愛媛県の伊予絣(いよかすり)と並んで日本三大絣と言われています。
緻密でありながら素朴な風合いの、独特なかすれ模様が特徴です。
歴史は約200年にわたり、井上伝という当時12〜13歳だった少女によって始まったと言われています。
伝は小さい頃から縫い物が好きで、大人も及ばないほどに木綿織りが得意でした。
ある日、自身の色褪せた古着の白い斑点模様に着目し、布を解いてその仕組みを探りました。そこから、糸を括って防染した上に藍で染色する方法をひらめきます。
その後、試行錯誤しながらその糸を織り上げることで白い斑紋がある織物を完成させました。
それが後の久留米絣の技法となったのです。

日常から生まれ日常で愛される

伝は15歳の頃にはすでに20数人もの弟子を指導し、その後も生涯にわたって数千人もの人々に技術を伝え、久留米は絣の産地として確立していきました。そして久留米絣は多くの人々の創意工夫が掛け合わされながら発展します。
特に農業が盛んな筑豊地方では、筑後川の育んだ豊かな土壌のもとで綿と藍が栽培され、地域の人々は農閑期の副業として久留米絣を盛んに織るようになりました。
日常の中で始まった久留米絣は綿素材のため肌触りがよく、夏は涼しく、そして冬は暖かく着ることができるため、季節を選ばず日常生活に取り入れることができます。
明治以降には庶民の衣服として全国の人々に愛されるまで普及しました。

熟練した職人技が光る手括り藍染めの絣

手括り藍染めの手織りでつくられる絣は、熟練した職人たちが分業し、30以上もの工程を経て、3ヶ月ほどかけて完成します。
そのうち伝統的な藍染めは、藍に浸しては絞り、叩くという作業を実に約30〜60回も繰り返します。そうしてできた生地は洗うたびに藍の灰汁が抜けて色が冴え、さらに美しさが増すのです。
藍染め手織りの紺と白で構成されたシンプルな生地から始まった久留米絣ですが、現代では化学染料によって染められたカラフルな生地を機械を使って織ることも一般的になりました。
そんな中、「手括りによる絣糸を使用する」「純正天然藍で染める」などの厳しい条件を満たしてつくられた久留米絣は、久留米絣協同組合により「重要無形文化財」の証紙が与えられて市場に出されます。

今でも親しむことができる伝統

伝統的な模様や藍染めだけでなく、モダンな柄や色彩豊かな商品もつくられるようになった久留米絣。かつて人々に普段使いされた着物は、それだけにとどまらず、現代ではバッグやスニーカー、シャツ、ワンピースなど今の形となって人々の暮らしの中に取り入れられています。
毎年3月には、久留米絣の祭典「藍・愛・で逢いフェスティバル」が開催され、反物や洋服、雑貨などの製品が割引価格で手に入れることができます。他にも新作発表会やファッションショー、体験教室などいろんなプログラムが準備されており、久留米絣の魅力を身近に知ることができますよ。
久留米絣資料館では、歴史や製造工程、貴重な作品の展示を見ることができ、希望をすれば手織りの実演も見学ができます。
また、久留米絣協同組合のホームページでは織元の情報がまとめられ、見学や販売についての情報も一覧できます。
ぜひ現地やホームページを訪れて久留米絣の魅力と職人の想いをより深く知り、日常に取り入れてみてください。

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