【丸亀うちわ】繊細な手仕事が紡ぐ「粋」【香川県 丸亀市】

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城下町を彩る丸亀うちわ

丸亀市は、うどん県でおなじみの香川県にあります。
総人口107,000人を超えるかつての城下町です。
北に日本初の国立公園である瀬戸内海国立公園があり、南には讃岐山脈が連なります。温暖で雨は少なく、瀬戸内ならではの気候に恵まれた場所です。海上交通の要として栄え、現在も港町や神社など、歴史を感じさせるスポットが町中に見られます。
1602年(慶長7年)、生駒氏が亀山に建てた城を丸亀城と名付けたことが丸亀という地名の誕生と言われています。丸亀城は日本の100名城に選出されており、その石垣の高さは日本一。
扇の勾配と呼ばれるほどの美しさです。
この丸亀市は、国が認めた伝統工芸品の産地でもあります。
今回ご紹介する「丸亀うちわ」は、江戸時代から栄えた丸亀の代表的な産業です。内職のひとつとして、貧しい下級武士の暮らしを支えていました。
丸亀うちわにはさまざまなデザインがあります。思い思いのうちわで涼をとる姿は、日本人の「粋」を表現しているといって良いかもしれません。
丸亀うちわがここまで発展した背景には何があったのでしょうか。今日はその歴史を紐解いてみましょう。

時代に飲み込まれる最盛

丸亀うちわの始まりは、1633年(寛永10年)に作られた金比羅参詣の土産物といわれています。朱赤に丸金印が入った「渋うちわ」です。
しかし、1600年(慶長5年)、丸亀から九州に渡った旅の僧侶が現地でうちわの作り方を伝えたのが熊本来民うちわの始まりと伝えられていることから、このころ既に丸亀うちわの製法は確立していたと考えられます。
1780年代には、丸亀藩江戸詰大目付の瀬山登が丸亀藩の下級武士の内職として奨励したことがきっかけとなり、丸亀の主産業として発展しました。
全盛期だった1950年代は400を超える業者が軒を連ね、年間1億2千万本のうちわを作っていました。しかしエアコンや扇風機の普及により、徐々に生産数は減少。1990年代になると業者は80軒ほどとなり、生産数は年間7千万本までに落ち込みました。

断絶の危機と継承の復活

伝統の衰退を食い止めるべく、1995年(平成7年)にうちわの港ミュージアムがオープンしました。年間約2〜3万人が来場する施設として丸亀うちわを盛り上げましたが、なかなか過去の盛り上がりには届きません。
そうした状況にあって、国の伝統工芸品に指定されたのは1997年(平成9年)のことです。これを機に、うちわ産業の担い手たちは動き出します。
後継者を育てるための講座を開いたほか、実演販売を通して国内外に広く丸亀うちわのPRをおこなったのです。
2001年(平成13年)に丸亀城内で工房を立ち上げ、2003年(平成15年)にはうちわ作り体験を始動させました。その後も育成講座の修了者を対象に認定制度を設けたり、広くアピールしたりと精力的な活動がおこなわれています。

洗練された技巧が生む深み

丸亀うちわは、現在の生産量は年間約8,300万本、全国シェアの90%を誇ります。柄と骨はなんと1本の竹で作られており、その生産工程は47にも及びます。
うちわの材料は近隣の3県ですべて間に合います。
竹は愛媛県、紙は高知県。そして糊は徳島県でまかなえる、まさに四国が生み出す工芸品といえるでしょう。
丸亀うちわの作成は、職人の手による作業がほとんどです。たとえば、紙の厚さによって糊の量を微調整して破れにくくする工夫がされています。これは職人の卓越した技術と積み重ねてきた経験が成せる業です。
一口に「丸亀うちわ」といっても、さまざまなものがあります。
柄の形状や材料によって分けられたり、うちわの骨の形も多様でそれぞれに名前がついたりしています。また、柄の部分に施される加工は数百種類に及び、丸亀うちわの奥深さは底知れないものがあります。

丸亀うちわができるまで

丸亀うちわの製造工程は非常に細やかな作業で成り立っています。
まず、竹を40〜45cmに切って一定の幅に割り、内側の節を削り取ります。手に持ったときの感触を左右する大切な工程です。
次に「切り込み機」と呼ばれる機械で穂先から10cmほどの切り込みを入れたら、​穴開け用のきりを使って鎌を通す穴を開けます。鎌とはうちわの一番外側の部分です。「弓竹」と呼ばれます。
小刀で柄を削ったら、うちわの種類に応じて加工していきます。柄の部分の仕上げです。
次に、弓竹を通した穂を糸で編み、うちわ骨の弓竹に形をつけます。歪みを直しながら左右対称に整える作業です。
​うちわの骨の穂の部分に糊をつけて地紙を貼ったら、​穂の部分を整える工程に入ります。うちわの種類に応じて、さまざまな形状に仕上げていきます。
最後に、​うちわの周囲にへり紙、鎌の両端に「みみ」を貼り、ローラーを使って筋を入れたら丸亀うちわの出来上がりです。

流れる時にやわらかくなじんでいくもの

後継者不足や産業の縮小によって丸亀うちわの継承が難しい場面がありましたが、業界全体のひたむきな努力で「後継者育成講座」や「丸亀うちわニュー・マイスター制度」などの取り組みがなされました。
その結果、後継者候補の移住や観光を通じたファンの獲得など、丸亀うちわが地域の発展に寄与するまでになっています。その魅力を伝える施設をご紹介させてください。
丸亀市立資料館では、うちわ作りに必要な道具が工程に沿って展示されています。
丸亀うちわミュージアムは文献や模型が見られる博物館。うちわ工房「竹」は丸亀城内にある、後継者育成講座の修了者が立ち上げた工房です。
どちらの施設も実演を見たり、うちわ作りを体験したりでき、観光客の人気を集めています。
江戸の頃より、人々の暮らしを支え「粋」を作り出してきた丸亀うちわ。
さまざまな試練を乗り越えた陰にあったのは、担い手たちの熟練の技と、継承を途絶えさせまいとした人々の努力です。
その真摯な姿勢は、これからの時代を生きる後継者に受け継がれていくに違いありません。

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