小岱山麓の窯元でつくられる実用性が高い器
熊本県北部の小岱(しょうだい)山麓で約400年前から焼き続けられている陶器「小代焼(しょうだいやき・こだいしょう)」は熊本県を代表するやきものの一つです。
荒尾市、玉名市、南関町に連なる小岱山麓の窯元で、小岱山特有の粘土を原料としてつくられています。
別名五徳焼とも呼ばれており、この五徳は「腐敗しない」「生臭さを移さない」「湿気を呼ばない」「毒を消す」「延命長寿が得られる」という五つの効果を指しています。
芸術品としての評価が高いだけでなく器としての実用性も高いため、観賞用としても、暮らしに生きる実用的な器としても用いられてきました。
肥後藩の御用窯として始まった小代焼
小代焼の歴史は江戸時代までさかのぼります。
1632年(寛永9年)に豊前国(現在の北九州地方)から肥後(熊本県)へ配置替えを命じられた藩主の細川忠利に同行した上野焼の陶工の牝小路源七 (ひんのこうじ・げんしち) と葛城八左衛門 (かつらぎ・はちざえもん) が、小岱山麓に登り窯を開いたのが始まりだと言われています。
細川藩の御用窯として茶器が焼かれる一方で、食器などの生活雑器も多くつくられました。
もともとは他国に流出することなく藩内で製造、使用されていた小代焼。産業振興を図る藩の方針を受け、1836年(天保7年)に山奉行の瀬上林右衛門(せのうえりんえもん)が瀬上窯を築くと、小代焼の窯元が増えて一般に流通するようになりました。
小代焼の別名「五徳焼」は、世に売り出すための宣伝文句としてこの頃に名付けられました。
流し掛けで生まれる唯一無二の模様
小代焼に使われる粘土は鉄分と小石粒を多く含んでいます。それに藁灰・木灰・笹灰などを釉薬として用います。
深い藍と碧の地釉に上釉を流し掛ける技法が特徴で、深みのある地釉に流し掛けの技法を使うことで素朴で力強くダイナミックな模様を生み出します。
流し掛けには「浸し掛け」「杓掛け」「打ち掛け流し」「吹き掛け」「塗り掛け」などさまざまな技法があります。
発色や風合いは炎の加減や釉薬の配合により変化し、作品は青小代、黄小代、白小代、飴小代に分けられます。同じ形に同じ釉薬を施しても同じ作品ができることはありません。
小代焼は肥後藩内でほそぼそと使用され江戸時代後期まで生産規模も限られていたため、流し掛け技法が現在までほとんど変わることなく続いてきたと言われています。
土と対話しながら完成する匠の技
製造過程は小岱山付近の粘土の採取から始まります。採取した粘土は天日干しでしっかり乾燥させることでひびや傷ができにくくなります。
その後、乾燥した土を砕いて水と混ぜて泥水にします。そこでゴミや砂、石などを取り除き、泥水状になった粘土を沈殿させます。
沈殿した粘土から水分が抜けて成形できる硬さになったら、空気を抜いて土のかたさを均一にするために何度も土を練ります。足や機械を使った「荒練り」を経て、手でしっかり練り込む「菊練り」に移ります。
次は成形です。ろくろや、石膏型を使った型押し、手ひねりなどいくつかの技法があります。完成までに2割ほど小さくなるため、これらを計算して成形します。
成形した粘土をある程度乾燥させたら、削ったり装飾したりして形を仕上げます。
そこからゆっくり乾燥させたものを素焼きして、配合した釉薬をかけていきます。
最後は本焼きです。釉薬をかけた作品を窯に詰め込み、1300度程度の高温で焼き上げます。焼き上がった作品は割れないように、徐々に温度が下がるのを待ってから窯から取り出します。
窯元の思いと歴史ある技を暮らしに
小代焼は現在、荒尾市をはじめとする熊本県にある11軒の窯元でつくられています。
2002年にはこれらの窯元が集まって「小代焼窯元の会」が発足しました。現在は毎年2月にくまもと工芸会館で「春陶祭」を開催して作品の展示や販売をしたり、全国各地で展示会を企画して小代焼の魅力を発信しています。同会のホームページにはそれぞれ個性ある窯元の情報がまとめられており、窯元へのアクセス方法やECサイト、問い合わせ先などが記載されていますのでチェックしてみてください。
そのうち荒尾市にある小代焼中平窯(なかでらがま)では、小代焼の制作から工房見学、展示、販売まで行っています。ホームページでは小代焼の歴史や特徴、作品へのこだわりなどが紹介されています。オンラインショップやブログもあり職人の思いに触れることができます。
あなたも歴史ある手作りの技と土の温もりを暮らしの中に取り入れてみてください。
紡ぎ手:Muta Yuka