【土佐和紙】ていねいな手漉きの技術から生まれる伝統【高知県 土佐市】

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美しい水の恵みが満ちる紙の郷

高知県土佐市。
人口約2万6千人、北に四国山脈が連なり、東には美しい青が彩る仁淀川が流れる自然豊かなまちです。
気候は温暖で、果物や野菜だけでなく花の栽培も盛んにおこなわれています。
土佐と聞くと、鰹を思い浮かべる人もいるでしょう。土佐市にある宇佐町は、硬質の鰹節・改良土佐節発祥の地。その製造技術は登録無形民俗文化第1号に登録されました。
土佐市は自然に囲まれた地形と清らかな水、恵まれた気候により多くの特産品を世に送り出しています。その中でも三大和紙のひとつ「土佐和紙」は、1976年(昭和51年)に国の伝統的工芸品に指定されています。

土佐和紙の歴史は平安時代にまでさかのぼります。
927年(延長5年)に完成した、律令の施行細則「延喜式」。その中に、紙の主要産地として土佐の名が記されているのが最も古い記録です。
有名な「土佐日記」の作者・紀貫之も製紙業を奨励していたとされています。土佐の地は質の良い石灰、紙の原料となる楮・三椏・雁皮の栽培に適した気候、水質の良さが製紙業に適していたことが理由でした。

土佐和紙の世界を世に知らしめた「祖」

土佐和紙の名が全国に広く伝わったのは「七色紙」が幕府への献上品となったのがきっかけです。1591年(天正19年)、安芸三郎左衛門家友によって考案された七色紙は、草木染の技術を用いて生み出されました。
さらに時が流れ江戸時代、紙の需要が高まり、土佐の製紙業が産業として定着します。
このとき、土佐和紙だけでなく、他の土地でつくられる和紙にも多大な影響を及ぼした立役者が存在しました。それが「土佐紙業界の恩人」と称される吉井源太です。

吉井源太は1826年(文政9年)、旧伊野村に生まれました。
実家は「御用紙漉き」として土佐藩に納める紙を漉く役割を担っており、生まれながらにして製紙業と深い縁を結んでいた人物です。
製紙業における吉井源太の功績は非常に大きく、多岐にわたります。
まず、1860年(万延元年)に大型簀桁(すけた)を考案しました。簀桁とは和紙を漉くための道具で、紙すきの木枠「桁」とすだれ状の「簀」からなるものです。
簀桁の大型化により、一度に漉く紙の枚数が増え、紙の生産効率は3倍に上昇したといいます。
さらに、インクのにじみを防ぐヤネ入紙や、薄く軽い郵便半切紙、コッピー紙(別名「圧写紙」)など多くの紙の改良や開発に携わりました。
そして、吉井源太の功績の中でも特筆すべきが土佐典具帖紙(てんぐじょうし)の開発です。もともと美濃(現在の岐阜県)で漉かれていた典具帖紙を改良して作られました。1880年(明治13年)のことです。
土佐典具帖紙は0.03〜0.05mmという薄さでありながら、タイプライターの使用に耐える強さも備えており、諸外国へ輸出されていました。

技術革新と衰退 そして再生

吉井源太の土佐和紙の発展における貢献は紙の改良や開発に留まりません。彼は製紙の技術を全国に広めるべく精力的に活動しました。要請に応じて紙漉きの技術者を派遣したり、自らが現地へ出向いたりと労を惜しまず製紙技術の拡散に取り組んだのです。
しかし第一次世界大戦後、手漉き和紙の需要は低下の一途をたどります。さらに第二次世界大戦を経て、紙産業は機械抄きによる洋紙化がスタンダードになっていきました。しかし、限られた継承者たちによって手漉き和紙の技術は今もたしかに受け継がれています。

手漉き和紙の歴史に深く名を刻んだ土佐典具帖紙は、1973年(昭和48年)に国の無形文化財に指定されています。また、生涯を賭けて製紙業に尽力した吉井源太は、1894年(明治27年)に緑綬褒章を受賞しました。

IT化が進み、紙そのものの需要が低下している昨今ですが、薄く強靭な土佐和紙は文化財の修復に有用性が認められ、高い評価を得ています。

丹念な手仕事がつくり出す土佐和紙

土佐和紙づくりは原料の楮や三椏、雁皮を育てるところから始まります。刈り取った原料は不純物を除くために、消石灰・ソーダ灰などのアルカリ性溶液で数時間煮続けなければなりません。
煮た原料は水洗いし、落とし切れない樹皮などを手作業で取り除きます。非常に手間のかかる作業ですが、この「チリトリ」と呼ばれる工程は、経年劣化に耐えうる紙をつくるポイントです。
チリトリを終えた原料をしっかり叩いた後、水を張った「こぶり篭(かご)」に入れ、しっかりほぐします。ほぐした繊維にノリをしっかり混ぜ合わせたら、紙漉きの前段階の終了です。紙漉きの工程は非常に高い技術を要します。漉き船と呼ばれる道具で繊維をすくい、均一になるように調整しつつ漉かねばなりません。漉いた紙の上に重石を置き、一晩かけて水を抜きます。その後、圧搾機を用いてさらにしっかり脱水します。
脱水した紙を1枚ずつ板に貼り、日光で乾かしたら決められた規格にそって断裁します。

土佐和紙は、こうした手間暇と時間をかけた工程の中で丁寧に生み出されています。
職人の細やかな手仕事と、長年受け継がれてきた伝統が今日の土佐和紙を支えているのです。

土佐和紙の世界に触れる

土佐和紙発展の功労者・吉井源太の故郷にある いの町紙の博物館 では、さまざまな展示物と共に土佐和紙の歴史や土佐和紙づくりの工程が紹介されています。
また、手漉き体験や和紙でできた文房具の販売もおこなわれ、土佐和紙の世界をじっくり堪能できる施設です。年間を通してさまざまな展示会も開催されています。
また、いの町にある 土佐和紙工芸村くらうど もおすすめです。宿泊施設があるので、のんびりと紙漉き体験を楽しめるほか、和紙を使ったランタンやハガキづくりも可能です。
地元の食材を使った料理を堪能したり、薬湯やサウナでリフレッシュしたり、非日常に浸りながら伝統工芸にふれるひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。

平安の時代からその技術が伝承されている土佐和紙。
世界情勢が目まぐるしく変遷する中にあっても、その伝統の灯は今なお消えることなく私たちのそばにあります。
一時は衰退の道をたどりながら世界に評価されるにいたったのは、吉井源太ほか先人たちの技術と、紙づくりへの想いによるものでしょう。
千年続く歴史の中で受け継がれた伝統は、たしかに現代に息づいています。

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