唐とつながる津(みなと)で生まれたやきもの
佐賀県の西北部に位置し、佐賀県の約20%を占める唐津市。
東部は福岡県、西部は長崎県にそれぞれ隣接し、北部に面する玄海灘には多様な歴史を持った7つの島が浮かんでいます。
かつては「から」(唐・韓)など大陸とつながる玄関口(津:「つ」)として栄えました。
海と山に囲まれた自然環境があり、唐津くんち、唐津焼など文化と伝統が残っています。
そんな唐津の名前を冠した唐津焼はかつての肥前地区(現在の佐賀県西部から長崎県北部にまたがる地域)でつくられたやきもののことを指します。
唐津焼の誕生の経緯について詳しいことは明らかになっていませんが、古来から続く中国大陸と朝鮮半島との交流を背景に生まれました。
歴史は400年以上前まで遡ると考えられ、唐津湾の南に位置する北波多の岸岳城城主・波多氏の領地でつくられたやきものが唐津焼の始まりと言われています。
生産されたやきものは港で船に積み込まれて、全国各地へ出荷されました。
深みのある素朴さが愛された土の器
唐津焼は素朴で土を感じる質感が特徴です。
土そのものの個性を生かし、ざっくりとしてカリッと焼かれたやきものは、大地の力強さを感じさせます。
素朴でありながら深みがある唐津焼は、わびさびを重んじる茶道で好んで用いられ、古くから千利休ら茶人たちに「一井戸二楽三唐津」と言われてきたように、茶陶としての地位を確立していきました。
茶陶以外でも日用の器として親しまれ、東日本でいう「せともの」に対して西日本の焼き物の代名詞として「からつもの」と呼ばれるほどでした。
飾らないデザインと土の味わいのある「主張しない」美は、今も昔も多くの人を魅了してきました。
多様で表情豊かな作風
唐津焼には様々な種類があり、表情豊かなのも特徴です。
器に鉄絵具で文様を描いた「絵唐津(えがらつ)」や一種類の釉薬だけで模様が施されていない「無地唐津(むじからつ)」、釉薬の厚薄で色むらが味わいとなる「斑ら唐津(まだらがらつ)」、白濁色と黒色の釉薬を掛け分けたり不規則に塗り分けたりした「朝鮮唐津(ちょうせんからつ)」……。
他にも、燃料の灰や生地中に含まれている鉄分の化学反応によって焼き上がりが淡黄褐色や青色になる「黄唐津(きがらつ)」や「青唐津(あおからつ)」、黒色の釉薬で彩った「黒唐津(くろからつ)」など、作風は多岐に渡ります。
素材探しから一貫してこだわる作家たち
現在、唐津市内の各エリアには約70の唐津焼窯元が点在します。
長い歴史の中で培われた先人の技を受け継ぎながら新たな感性も取り入れ、それぞれの窯元が独自の作品を生み出しています。
分業することによって効率化しているやきものの産地が多いのに対して、唐津焼は量より質にこだわって各工程を一貫して行っている作家が多くいます。
作家はそれぞれの作風に合わせた独自の粘土を持っており、素材探しから焼成まで、こだわり抜いてできたやきものは現代に珍しい個性的で他にはない魅力を放っています。
唯一無二の器に育てる
唐津焼は「つくり手八分、使い手二分」という考え方があり、使い手が2割の余白の中で器を楽しみながら自由に使うことで初めて作品として完成します。
やきものの表面に初めから存在する亀裂(貫入)に水分や茶渋がしみ込んでいくことで、器の色が少しずつ変わったり艶が出たりします。
使えば使うほど唯一無二の器に育つのを楽しめるのが唐津焼です。
唐津観光協会の ホームページ では、唐津焼や窯元の紹介、唐津焼の販売店の情報などを発信しています。
また、古唐津の伝統を守りながら新しい作品作りに挑み続ける中里太郎右衛門窯の ホームページ では、14代太郎右衛門についてや作品の紹介がされており、オンラインショッピングをすることもできます。
匠技と唐津焼の真髄に触れ、自分だけの器を完成させてみてください。
紡ぎ手:Muta Yuka