【江戸和竿】洒脱な江戸精神を宿した珠玉の釣り竿【東京都 千代田区】

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熟練の職人が魚の特性に合わせて作り上げる江戸和竿

太平洋に面しており、多摩川や隅田川、荒川などさまざまな河川を有する東京。
河川の多くは緩やかな流域を持つため、安全かつ快適に釣りができる環境として多くの釣り人に愛されてきました。
千代田区、台東区、荒川区などの東京都を中心とする関東地方で製造されている、天然竹を用いた釣竿が「江戸和竿」です。
すべての工程を一人の竿師が熟練の手腕で作り上げるため、実用品でありながらも繊細な技術の光る、釣り好きにはたまらない工芸品となっています。
江戸和竿は、それぞれの魚の大きさや釣り餌を引く力加減に合わせて作られており、石鯛竿や黒鯛竿など、魚の種類の数だけ竿が存在するとも言われています。
東京都産業労働局によれば、江戸和竿は魚の力を吸収するようにしなり具合が計算されており、使うほど手に馴染む釣り心地の良さを有していると言います。

武士の心を豊かに潤した江戸の釣り文化

日本の釣りは、武士の間で始まった遊びであると言われています。
『江戸釣百物語』(長辻象平 著/河出書房新社)によれば、魚釣りは殺生を禁じる仏教の教えに背くことから、江戸時代以前には「漁師以外が魚を釣ることには強い忌避の念がはたらいていた」と長辻氏は述べています。
同書は武士が趣味としての釣りを嗜み始めた理由として、主に3つを挙げています。
1つ目は中国の軍師太公望が釣りが縁で国の要職に就いていたこと、2つ目は当時が徳川幕府による天下統一で平和が訪れた時代であったこと、そして3つ目が、幕府が寺社を管理下に置いたことで長く続いた殺生禁断の呪縛が緩和されたこと。
自然の中に身を置き、川辺に釣り糸を垂らすそのひとときが、戦から解放された武士にとってどれほど豊かなものだったのか、想像に難くありません。

江戸和竿の歴史は、一人の武士の挑戦から始まった

釣竿の歴史を見ると、1723年発行の『河羨録』に二本継ぎや三本継ぎの釣竿が市販されていた記述があることから、この時代にはすでに継ぎ竿が誕生していたと考えられています。
江戸和竿の発祥は、天命年間(1781〜1788年)と言われています。その起源の店と呼ばれるのが「いなり町 東作本店」で、同店舗によれば1783年、紀州徳川家の藩士であった松本東作が、武士の身分を捨て、下谷稲荷町の広徳寺門前(現在の東京都台東区)に釣り竿屋を開業したことが江戸和竿の始まりであると言います。
江戸時代に江戸で誕生した江戸和竿は、その後も代々伝統が受け継がれてゆき、1984年には東京都の伝統工芸品に指定され、1991年には、伝統的工芸品として認定。
国内外を問わず、釣りを愛する人の心を魅了し続けています。

寸分違わぬ精緻さが求められる「切り組み」「火入れ」

釣竿には、一本竹を用いて作る「延べ竿」と、複数の竹を継ぎ合わせて一本の竿にする「継ぎ竿」があり、継ぎ竿は江戸和竿の特徴の一つでもあります。
江戸和竿の製造工程は、原竹の枝の下処理から乾燥までを行う「さらし」から始まります。その後、竿の種類に応じて丈を選定し、全長を定めて寸法を合わせる「切り組み」、「火入れ(矯め)」を行います。
工程の中でも特に重要となるのがこの切り組みと火入れで、火入れでは素材の竹を火にかざして曲がりを取り、同時に強さを引き出す高い技術が求められます。
この工程には江戸時代の矢作りと同様の用具が使用されているとも言われており、武士社会の江戸で生まれた江戸和竿らしさが窺えます。
竹の内部を削り取る「節抜き」、継ぎ口を絹糸で補強する「糸巻き」、寸分違わぬよう慎重に竹と竹を継ぐ「継ぎ」、そして穂先つけを行った後、20回以上も丹念に漆塗りを重ね、最終調整の火入れを行い江戸和竿は仕上げられていきます。

「使えばわかる」計算し尽くされた釣り心地

竹選びに始まり、これらの工程をすべて一人で担うことから、一竿仕上げるまでには約3ヶ月もの月日がかかります。
手間暇をかけて作られた江戸和竿は、手にしたときの喜びもひとしおのはず。
東京都産業労働局は、江戸和竿の使い心地を「完成品は天然素材ゆえ、使うほどに持ち手は手になじむ」「魚の力を吸収する計算されたしなり具合は、カーボン製とは比較にならない釣り心地の良さをもたらす」と表し、その技術の高さを伝えています。

江戸和竿に学ぶ、釣りの奥深さと洒脱な精神

江戸和竿の起源とも言われ、江戸の釣り文化を牽引したと言われる、かつての「泰地屋東作」こと現在の「いなり町 東作本店」では、江戸和竿のオンライン販売を行っています。
フナにキス、ハゼにタナゴと、魚の種類に合わせて美しい和竿が一面に並ぶ様は圧巻。
東京都台東区にある実店舗では、初心者であっても和竿の扱いから丁寧に説明を受けられるようなので、本物の江戸和竿に触れることで「江戸の粋」を知るのもよいでしょう。
毎年冬になると、江戸和竿を製作する職人集団「江戸和竿組合」も出展する「釣りフェス」が関東圏で開催されています。
日本の釣り文化を発信する国内最大級のイベントであり、江戸和竿組合による火入れの実演なども行われています。
過去には、老舗店舗の歴代の和竿コレクションが展示されたこともあるため、釣りに興味がある方は足を運んでみることで、新たな発見があるかもしれません。
かつて武士が始めた遊び、釣り。現在もなお伝統技術が脈々と継承されゆく江戸和竿は、江戸が育んだ“粋”の精神とともに、世界中の水辺にその洒脱な風情を描き続けていくはずです。

紡ぎ手:田口 友紀子

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