【高山茶筌】国内で使われる9割を“手作業”でつくる茶筌(茶せん)の里【奈良県 生駒市高山町】

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茶道具としての茶筌

茶筌(茶せん)と聞いて、ピンとくる方はどれぐらいいるでしょうか。
茶筌は、茶道具のひとつです。茶道で抹茶を点てる(たてる)ときに使います。
茶碗に抹茶を入れ、少しの湯を足す。そして湯と抹茶を混ぜるときに使うのが茶筌です。実は、茶道の流派や茶会の趣、濃茶か薄茶かによって使われる茶筌が変わります。
わかりやすい違いで言えば、濃茶と薄茶で茶筌が使い分けられることでしょうか。濃茶は、かの千利休が言うところの「茶」です。濃厚でお茶本来の香りや苦味、甘みを楽しむタイプ。お茶が文字通り濃いため、抹茶は点てるというよりは「練る」ことが求められます。そのため、茶筌も穂先の数が少ない種類が用いられます。一方で、薄茶は、しっかりと泡立てる必要があるため穂先の数が多いタイプが使われるのです。
茶道は奥深く、ひとつの茶道具でもさまざまなバリエーションが存在します。そうした微細な差を楽しむことも一つの魅力と言えます。

国内流通のおよそ9割を支える茶筌の里 「奈良県生駒市高山町」

奈良県生駒市の高山町は、茶筌の産地として知られています。国内で流通する茶筌のおよそ9割がこの地で生産されており、1975年に経済産業省から伝統的工芸品の指定を受け、その価値が公的にも高く評価されました。今は、ひろく「高山茶筌」として知られています。
歴史を紐解くと、なんと高山茶筌の起源は500年前に遡ります。高山茶筌の始まりは、室町時代後期の1500年代とされています。現在の高山町は室町時代には鷹山(たかやま)氏の居城・鷹山城があり、城下町として栄えていました。高山町は山間部に位置する関係で、周囲に良質な竹林が広がっていました。こうした恵まれた環境の中で、鷹山氏に従う家臣たちの間で竹細工が盛んに行われていました。
その鷹山城主の次男である宗砌(そうせん)は、茶道の創始者・村田珠光から「茶を攪拌する道具」の製作を依頼され、それに応えて作り上げたのが最初の高山茶筌とされています。
しかし、後に鷹山氏が没落すると、城下町の地名も「鷹山」から「高山」へと改められました。一説によると、「高山」となったのは宗砌が鷹山城主に対して献上した茶筌に「高穂(たかほ)」の名が付けられたことが背景にあるとされています。
宗砌が創始した茶筌作りの技法は、鷹山家臣に秘伝として受け継がれていましたが、やがて一族の衰退とともに、その伝統が一般に公開され、高山町の生業として定着していきました。茶道が千利休による侘び茶へと変化、確立される過程においても高山茶筌への需要は変わらず高く、この地が茶筌の一大産地として根付いていくことになったのです。

高山茶筌の「指頭芸術」としての魅力

高山茶筌の最大の魅力は、手作業による緻密で美しい造形と、味わい深い風合いにあります。
1本の原竹から小刀と指先だけで何本もの穂先を作り、整えていきます。すべての工程が小刀と指先だけで行われることから「指頭芸術」と称されるほどです。伝統工芸士の手がける高山茶筌は、その美しさからパリのルーヴル美術館に出展されるものもあるなど、世界的にも認められる逸品となっています。
すべてが手わざで制作されるため、複数の職人が作業に当たっても1日に30〜50本の製造が限界とされる、とても貴重な茶道具です。

原竹の違いによる風合いの違いを楽しむ

高山茶筌は、使用する竹の種類によっても表情が様々に変わります。代表的なのが淡い黄白色の淡竹(はちく)ですが、黒竹(くろちく)は黒と緑の摺り模様が美しく、煤竹(すすだけ)は焦げた風合いと深い黒褐色が味わい深い雰囲気を醸し出します。
煤竹というのは、古民家の囲炉裏の煙で燻された竹を意味します。茶筌の材料として用いる煤竹は100〜150年燻されたものが適しているとされますが、古民家の減少などもあって原材料としてとても貴重なものとされています。
原竹は切り出したらすぐに材料として使えるというわけではありません。適切に乾燥させて、割れない竹にしなければ茶筌の材料とはならないのです。
この乾燥の工程にも技が隠れています。高山町では、原竹の「寒干し」が行われます。タケノコから2〜3年経った淡竹を油抜きし、テント型に組み上げて冬の寒い間に天日干しするというものです。
夏の間に乾かすと、暑さのために急激に乾き、竹が割れてしまいます。冬の気温でじっくり乾かすことで、茶筌に適した乾燥と色ツヤが生まれるのです。この寒干しを通じて、竹が持つ独特の風合いが引き出されます。

1本の竹から120本の穂先を削り出す卓越した技巧

高山茶筌の制作工程をつぶさに見ていくと、卓越した職人の技巧に驚かされます。
先に触れた寒干しを経た原竹は、筋を挟むように円筒状の「コロ」という材料に整えられます。
次の工程は「片木(へぎ)」というものです。筋の上部の皮が剥かれ、大割包丁というナタのような道具を用いて、12〜24等分された穂先のもととなる部分を作ります。
そして、1片を大小交互に10分割する「小割(こわり)」という工程に進みます。制作工程のクライマックスと言えるのが「味削り(あじけずり)」です。穂先になる部分を湯に浸してほぐし、根元から先に進めば進むほど薄くなるように削り整えていきます。同時に、内側に向かって丸くなるようにしごいて形が作られます。穂先は多いもので120本にもなり、これを小刀一つで削り整えていくのですから、技術が問われます。茶の味は、この味削りによって変わると言われるほど、決め手となる工程です。
その後、茶筌外側の穂の「面取り」をして、穂の根本がしっかりするように折り上げて糸で編み込む「上編(うわあみ)/下編(したあみ)」を行い、「腰並べ」と「仕上げ」を経て完成となります。
用途や茶を点てる器の大きさによって、穂先の数や茶筌自体の大きさが変わりますが、これらが変わったとしてもすべて手わざで調整をしていくのですから驚きです。

体験から親しむ高山茶筌の世界

奈良県高山茶筌生産協同組合が主たる管理者をつとめる 生駒市高山竹林園 では、「高山茶筌制作実演」が行われています。職人が目の前で茶筌づくりを実演し、その手わざを説明してくれます。
実際に茶筌に触れて選んでみるなら、近隣にある工房を訪ねるのがいいでしょう。例えば、老舗の竹茗堂久保左文 は、茶筌だけではなくさまざまな茶道具まで揃えています。翠華園谷村弥三郎 では、茶筌の制作体験教室も行っています。
生駒駅近くには おちやせん という生駒市のアンテナショップあり、ここでも高山茶筌を買うことができます。室町時代から現代まで脈々と続く、手わざの美。ぜひ、現地まで訪れて体感してください。

紡ぎ手:Kei Mimasu

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