【赤間硯】幕末の志士も愛した美しき墨磨り【山口県 下関市】

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西の浪華「下関」が生んだ名品「赤間硯」

本州の最西端に位置する、山口県下関市。三方が海に開かれた下関市は、本州と九州を結び合わせる接点として室町時代から港町として栄え、近世には長崎と並ぶ商港として「西の浪華」と呼ばれていました。この下関市の特産品として古くから作られてきたのが、「赤間硯(あかますずり)」です。
小豆のようなこっくりとした赤褐色の肌に、滑らかな艶を放つ赤間硯。一般的には黒色の硯がほとんどのなか、唯一とも言える赤みを帯びたこの硯は、日本の硯を代表する一つでもあり、その名称は下関の古い名「赤間関」で製作・販売されてきたことに由来しています。
その原料となる「赤間石」は硬い粒子からなる石英を多く含んでいるので、固形墨が細かく磨れ、発色の良い伸びやかな墨汁を素早く得られるとして、国内外から高い評価を得ています。

上質な墨をもたらす、幕末の志士も愛した筆の友

赤間硯の歴史は古く、1192年に源頼朝公が鶴岡八幡宮に奉納した硯が赤間硯であったとされており、少なくとも12世紀末にはすでに製作されていたと見られています。古来より名品とされてきた中国の端渓産の硯に代わる品質の高さで、国内産の硯として珍重されるようになっていきました。
江戸時代には広く流通し、長門国(現在の山口県)や豊前国(現在の福岡県)で採石・加工され、赤間関で販売されるという形式が主流でした。
そして近世以降には識字率の向上や学問の普及に伴い硯の需要が高まりを見せ、赤間硯はさらなる発展を遂げます。幕末の最盛期には300人もの名工が存在するほどの隆盛となりました。
例えば吉田松陰や高杉晋作など、歴史上の著名人も多く愛用していた記録が残っています。なかでも吉田松陰が愛用していた赤間硯は、萩市にある松陰神社の御神体となっています。
18世紀中頃からは採石地の中心が現在の宇部市に移り、1976年には国指定伝統的工芸品に指定されました。現在は職人の数は大幅に減少したものの、宇部市や下関市でその伝統は脈々と引き継がれています。

採石から掘り、そして磨きまで職人自らが担う

赤間硯は、赤間石という石英や鉄分を多く含む赤褐色の石から作られています。かつて赤間硯の職人が多かった時代は、採石、彫り、そして磨きの工程をそれぞれ分業していましたが、職人の数が減少した現在は、採石から職人自身が行い、全工程を職人ひとりが行います。
山口県内で唯一、赤間石が採石できるのは宇部市西万倉の岩滝地区。
赤間石は乾燥しやすい性質があるため、採石用に山に掘った坑道に水を満たしておき、その水をポンプで汲み出してから掘り出す必要があります。
採石にあたっては、まず石を金槌などで軽く叩き、音の響きで硯としての石の質を見極めます。
原石の周囲をハンマーで叩き、割れや不純物の有無を確認した上で、削岩機で積層を緩めてからバールを差し込み、梃子の原理で浮き上がらせるように採石します。
時には火薬も用いて採石もすることから、採石ができるようになるまでに10年以上もの歳月がかかると言われています。

匠の技が光る、機能と美しさを両立させる彫り

製作する硯の形や厚さに適するよう、ちょうどよい大きさに割り出した後は、ダイヤモンドの丸鋸で水を掛けながら切断していきます。砥石の表面を研磨し、平面を出したり丸型や小判形などの型取りを行います。
そして墨堂(丘)と墨海(海)の大きさを決めて線引きを行い、内彫りを進めていきます。
「縁立て」と呼ばれるこの内彫りの工程は硯作りで最も重要と言われており、硯の道具としての機能や造形の美しさに大きく影響します。
ノミで粗彫りと胸彫りを行い、その後にノミの掘り跡を滑らかにする仕上げ彫りを行います。右肩の付け根にノミの柄を押し当て、全身の力を込めてノミを運ぶ彫りには、熟達した技術が必要となります。
砥石を使用し、表面をなめらかに磨いた後は、目立て石で研磨することで、固形墨が磨れるように表面をざらつかせていきます。
最後には墨堂と墨海以外に漆を塗り、色粉を振りかけて刷毛で刷り込み、余分な粉を落としながら定着させて、赤間硯は完成となります。

優れた発色の墨を生む、小豆色の石肌

赤間硯の見どころとして第一に挙げられるのは、小豆色の艶やかな石肌。形は角硯や丸硯のほか、原石の姿を活かした縁に装飾の彫刻を施す仕上げがあることも大きな特徴です。
職人自らが採石するからこそ、坑内から掘り出したときの姿からインスピレーションが得られ、多様な美しさに仕上げられていくのでしょう。中には、彫刻が施された蓋付きの豪華な赤間硯も存在します。
見目のみならず、機能にも優れています。
石質が固く密であり、墨を削る微細な凸凹である鋒鋩(ほうぼう)が細やかに立っていることから、墨のおりがよく、伸びやかで良い色の墨が磨れると古来から名品として愛されてきました。

悠久の時を蓄えた唯一無二の硯を、見て触れて堪能する

宇部市にある「万倉ふれあいセンター」には、赤間硯の産地として硯の展示が行われています。機能と美しさを兼ね備えた小豆色の石肌の美しさを、その目で確かめられる貴重な場です。
また、かつて硯産業に従事する人が大半だったことから「赤間硯の里」と名付けられた集落では、現在も各工房にて職人による赤間硯の製作が行われています。
山口県赤間硯生産協同組合では、会員である赤間硯職人の工房が紹介されており、事前に問い合わせの上で見学も可能。
下関市にある「赤間関硯本家 玉弘堂」では、赤間硯の店頭販売や通信販売も行っています。こちらは不定休となるため、店頭への訪問の際は予め連絡の上で向かうのがよいでしょう。
悠久の時を蓄えた美しい石が、職人の熟練の技で彫り上げられる赤間硯。時代を超えて培われた美と技は今もなお多くの人々を魅了し、熟練の技術は確実に次代へと引き継がれています。

紡ぎ手:田口 友紀子

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