志に燃えた青年がもたらした織物
古くからアジアをはじめとする海外との玄関口として栄えた福岡県。
さまざまな伝統工芸品が息づいており、国の伝統的工芸品には現在7種類が指定されています。その中の一つが博多織です。
博多織は福岡市などでつくられている絹織物のことで、歴史は780年以上前の鎌倉時代にまで遡ります。
1241年、博多で生まれた満田弥三右衛門という青雲の志に燃えていた青年が、宋(中国)へ渡ろうとしていた僧と知り合って宋へと渡りました。
朱焼、箔焼、素麺、麝香(じゃこう)丸、織物…。弥三右衛門は宋で数多くの技術を習得しました。
6年が経って故郷に戻った弥三右衛門は、織物を除いた4つの技術を惜しみなく人々に教え、織物の技術だけは自分のものとして家業を起こしました。
これが、のちの博多織になったと言われています。
今も昔も変わらない献上博多
博多織には伝統的な「献上博多」と、現代的でカラフルな色糸を用いた華やかな「紋博多」があります。
「献上博多」は、福岡藩の初代藩主の黒田長政が江戸幕府への献上品として毎年博多織を献上するようになったため、そう呼ばれるようになりました。こうして全国デビューした博多織は藩の保護を受け、高品質で希少なものとなりました。
デザインは昔から変わらず、仏具の一種である独鈷(金剛杵)と華皿を柄にしたものに縞を加えた文様です。
織柄は緯(よこ)糸であらわすのが一般的であるのに対して、献上博多織は経(たて)糸を浮かして柄をあらわします。これは他の織物にない伝統的な技法と言われ、緯糸に比べて経糸を多く使います。そのため献上博多は「絹糸を買うようなもの」と言われるほど糸の使用量が多く、西陣織で経糸を3000本使うのに対して、博多織では5000本使うとされています。
絹鳴りは博多織をあらわす音
博多織を使った製品の代表格は帯です。長い歴史の中で多くの人々に親しまれてきました。特徴はなんといっても「絹鳴り」です。
博多織は経糸の密度が高く、緯糸は太いものを力強く打ち込んでいるため生地が厚くコシがあり、帯を締める時に絹糸同士がすれて「キュッ」と歯切れのいい音がします。
そのため帯を締めても緩みにくく、強く引っ張ってもすぐに痛みません。
「博多織の職人は鳴かせてこそ一人前」という言葉もあり、絹鳴りの音は製品の質が高い証拠です。
かつては刀があっても帯が緩まないため武士に人気がありましたが、今では大相撲の力士も愛用しています。
神経を全集中させた匠技
一つの製品ができるまでには、多くの工程があります。
まずは絵柄を決定する「意匠」から始まります。方眼紙に経糸と緯糸の幅や糸数などを示す織組織を描き起こします。幅が1㎜にも満たない糸も調整するとても緻密な作業です。
次に、あらかじめ丁寧に洗っていた生糸を染める「染色」です。色見本にしたがって窯に染液をつくり染めていきます。見本通りの色を出せるのは職人の為せる技です。
次の「整経」では織組織の設計図通りに経糸を並べてロール状に巻きつけます。指先に全神経を集め、糸一本単位で計算を重ねながら巻き上げていきます。
「緯合わせ」では、細い緯糸を束状にまとめ合わせて太い糸に仕立てます。そして、織り機にセットしていきます。絶妙な力加減が必要です。
最後の「製織」では、織り機にセットされた経糸に緯糸をくぐらせて、「トーン、トントントン」のリズムで織っていきます。
現在は機械を使って織られることも増えましたが、伝統工芸品としての織物はこれらの工程を経て完成するまでに、数ヶ月から半年程度かかります。
変わることのない姿と現代の融合
現在の博多織は伝統的な製品だけでなく、特性を生かした新しい製品も豊富です。
印鑑ケースやブックカバーなどの文房具、名刺入れやネクタイ、バッグやインテリアなどと多岐に渡り、ギフトとして好まれています。普段使いできる製品もあるため、より多くの人の手元に届くようになりました。
博多織工業組合の ホームページ では、博多織の歴史や魅力、イベントなどの情報を発信しており、オンラインショッピングをすることもできます。
また、サヌイ織物が運営する 博多織工芸館 では、工場見学や展示などを通して博多織の伝統を学び、手織機を体験することができます。
現存する博多織最古の織元である西村織物の ホームページ でもオンラインショップや情報を随時更新していますので、ぜひチェックしてみてください。
時代が変わっても、変わるところと変わらないところを見極めながら歴史を積み重ねる博多織の魅力をぜひ感じてみてください。
紡ぎ手:Muta Yuka