【黄八丈】八丈島で大切に継承されてきた「本物」 【東京都 八丈町】

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東京から飛行機で50分の “八丈島”

東京都八丈町。
伊豆諸島の南に位置する「八丈島」と「八丈小島」が町域です。
八丈小島は現在無人島で、面積69㎢の八丈島に6,768人の島民が暮らしています。(2023年10月時点)
東京から八丈島空港までおよそ50分ほど。関東近郊のリゾート地としてイメージされる方が多いと思います。島内に7つの温泉施設があり、マリンレジャーだけでなく温泉の島としても人気があります。
島には三原山と八丈富士がそびえ、それらを取り囲むように5つの集落が海沿いに広がっています。
温暖で雨の多い気候のもとで、島の人々は花づくりを中心とした農林業と沿岸漁業を基盤に生活をしてきました。
そのような中、この島で大切に受け継がれてきた伝統工芸が織物・黄八丈(きはちじょう)です。

江戸の娘が憧れた “黄八丈”

江戸の娘たちが憧れ、「あらゆる着物を知り尽くした人が最後に辿り着く着物」と言われる黄八丈。
黄八丈の起源はわかっていませんが、室町時代に絹が献上された記録があり、江戸時代には将軍家に御用品として献上されていました。
八丈島は永らく主君をもたず、江戸時代になって幕府の直轄地となりました。
そして年貢として黄八丈が納められるようになり、1620年には年貢として紬(つむぎ)500反を納めることが定められ、1839年には704反あまりにまで増加していたといいます。
これに食料購入の支払いに使う分や江戸商人を通じて販売していた分をあわせると、毎年の生産量は1,000反近くになっていました。
原料は全て島で手に入るもので、染料の原料となる草木はたくさん自然に生えており、絹糸は蚕を飼ってとっていました。

自然の染料が生み出す鮮やかな色彩

黄八丈は自然に生えている草木を染料とした草木染です。
「黄色」「樺(かば)色」「黒色」の3色を基調とした絹織物です。
「黄色」の染料はカリヤス(刈安)を刈って干し、朝早くから夕方まで窯で煎じて染料にします。カリヤスは八丈島にたくさん生えていますが群生している場所はなくなってしまったそうで、今は畑で丹念に栽培されています。
「樺色」は八丈島の海岸近くにたくさん生えているマダミ(島の言葉で「タブノキ」)の生皮をはいだ染料で染められます。
「黒色」はブナ科のスジダイの樹皮を2〜3年乾燥させた染料により染められます。
これらの色をかけあわせて別の色もつくられます。黒の染料で染めた後に “沼づけ” を行うと「ねずみ色」に、黄色の染料で染めた後に黒の煎じ汁に漬ければ「うぐいす色」 に、樺の染料で染めてから黒の煎じ汁に漬けさらに沼づけを行うと「栗皮色」というように。
ちなみに黄八丈は、厳密にいうと黄色が「黄八丈」、茶色が「蔦八丈(つたはちじょう)」、黒色は「黒八丈」と呼ばれます。

織りの伝統も守られてきた伝統的工芸品

黄八丈は1977年に国の伝統的工芸品に指定され、1979年には山下め由(めゆ)さんが東京都の無形文化財に指定されました。
黄八丈は織り方が江戸時代から現在に至るまで守られてきています。染めあがった糸は手織りで織り上げられ、織り方は平織と綾織の2種類です。
柄も伝統的な格子柄のみでこちらは、幕府の御納戸役(おなんどやく)から島民に渡された縞見本にあった柄が今も受け継がれているのです。
山下め由さんはこの伝統技術を大切に継承したいと考え、広く黄八丈のよさを知ってもらうために工房を一般公開しています。

本物に触れ 一度は手にしたい黄八丈

現在八丈島にある工房は、山下さんの「黄八丈めゆ工房」と「黄八丈織物組合」の2軒です。
黄八丈めゆ工房では、まさに黄八丈がつくられる現場を余すことなく見学することができます。黄八丈でつくられた財布など小物も販売されているので、手軽に黄八丈を手にすることができます。
「本場黄八丈」(伝統的工芸品に指定された際、八丈島で生産される黄八丈はこのように呼ばれるようになりました)の反物は年々希少なものとなっています。
八丈島が大切に守ってきた伝統を感じ、本物の黄八丈に触れたら、一度は本場黄八丈の反物を手にしたいと思うはずです。
その時のためにぜひ、着物や織物の「展示会」情報を日頃からチェックしてください。
なにぶん希少なものですので、着物店に1枚や2枚入荷されたらすぐに注目の品物となります。
その点、展示会が開催された時には一度に10枚以上展示されることもあり、本物を見て購入するまたとない機会となります。
八丈島が育んできた本場黄八丈を身にまとう日がきたらきっと、幸せな時間がやわらかに流れていくことでしょう。

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