包丁のルーツは旧石器時代の打製石器
飲食店でもご家庭でも、料理をする時には欠かせない「包丁」。
人類の長い歴史の中で、包丁はいつから使われているのでしょうか?
実はその起源は旧石器時代にまでさかのぼります。およそ2万年以上も昔の話です。そのころの人類は、ナイフ型石器と呼ばれる「打製石器」を使って捕らえた獲物の皮を剥いで肉を切り取っていました。打製石器は文字通り、石を打ち砕いて鋭利にしたもので、今につながる包丁のルーツとなります。
その後およそ1万年前ごろの新石器時代には、石と石を磨き合わせた「磨製石器」が使われるようになり、より繊細で鋭利な “ものを切る道具” へと進化していきました。この時代には研磨用の砥石(といし)も出土していて、 “研ぎ文化”も同時に芽生えていたことがわかります。
日本最古の包丁は奈良時代のもの
「打製石器」「磨製石器」と人類の “ものを切る” 行為には長らく石が用いられてきましたが、およそ1,500年前の古墳時代には製鉄技術が発展し、次第に金属が用いられるようになります。当初、その製鉄技術は刀や剣などの武器であったり儀式で使われる装飾物に使われていました。後に製鉄技術の進展にあわせて、調理のための包丁も作られるようになります。
みなさんは現存する日本最古の包丁をご存知でしょうか?
現存する日本最古の包丁は、奈良県奈良市の正倉院に保管されています。奈良時代のもので、今の包丁と比べると総長が38cm、41cmととても長く、包丁というよりも日本刀に近いイメージです。包丁は研いで使い続けるためなかなか古いものが残りにくく、大変貴重な遺物となります。少なくとも1,200年前には現代につながる鉄製の包丁が使われていたことがわかります。
食文化が発展した平安時代
平安時代になると朝鮮半島から中国料理が伝わったことにより、調理の文化が発展します。あくまでもこのころは宮中に限られた話ですが、食材の切り方、盛り付け方など食の文化が進展し、いわゆる日本料理の形式ができはじめたのもこの時期です。調理人たちは食材によって包丁を使い分けるようになりました。
象徴的なのは、860年ごろに生まれた「庖丁式」という儀式です。
烏帽子(えぼし)・狩衣(かりぎぬ)をまとった包丁師が右手に包丁を、左手にまな箸を持って、大きなまな板にのった鯉や鯛といった食材を切り分け盛り付けていきます。
光孝天皇の勅命により宮中行事に取り入れられた庖丁式はその後、日本各地に伝播し、鎌倉、室町時代には武家にも広がりを見せてました。庖丁式は現在でも東京都の神田明神、埼玉県の秩父神社、愛知県の津島神社などの神社で奉納されています。
現代の包丁のかたちができた江戸時代
奈良時代からある日本刀型の包丁は江戸時代中期まで、主に魚用として使われてきました。時代が進むにつれて包丁の形状・種類は増えていき、江戸時代中後期に現在のかたちが完成しました。
世の中が安定していた江戸時代には調理の文化も栄え、魚をさばくための「出刃包丁」に「刺身包丁」「うなぎ裂き」、野菜を切るための「菜切包丁」に「薄刃包丁」といった耳馴染みのある包丁が出揃いました。
日本における食の変化と三徳包丁の登場
明治時代になると牛肉食をはじめ洋食文化が流入するとともに洋式ナイフも日本へもたらされました。洋式ナイフは牛刀包丁と呼ばれ、牛肉を食べる文化を支えました。その後、一般の家庭でも洋食が取り入れられていく中で牛肉は「牛刀包丁」、魚は「出刃包丁」、野菜は「菜切包丁」と使い分けるのは大変で、その需要の中から新たな包丁が生まれました。
それが、現代の家庭で広く流通している「三徳包丁」です。
三徳とは肉、魚、野菜と3種類の素材を1本の包丁だけで処理できるという意味から名付けられました。
三徳包丁はいわば “はじめの1本” で、現在も実に多くの種類の包丁があります。現在、和包丁の種類は100を超えると言われています。
日本の三大刃物産地
こうして足早に歴史を振り返るだけでも、日本における包丁文化の奥行きを感じていただけたかと思います。日本の包丁文化の背景には、職人たちが脈々と受け継いできた包丁づくりの技術があります。和包丁は今、三徳包丁が「Santoku」、刺身包丁が「Sashimi」、菜切包丁が「Nakiri」と呼ばれるなど世界から品質の高さが注目されています。
みなさんは、日本の三大刃物産地をご存知でしょうか?
北から「新潟県三条市」「岐阜県関市」「大阪府堺市」が日本の三大刃物産地と呼ばれています。
新潟県三条市の鍛治技術
新潟県三条市において金属を鍛錬して製品を製造する「鍛治」が始まったのは、江戸時代初期。河川の氾濫に苦しんでいた農民が、副業として和釘(わくぎ)を作り始めたのが始まりとされています。その後ほどなくして鍛治技術は広がりを見せ、鎌、のこぎり、包丁などの様々な職人を生み出していきました。
長い歴史の中で受け継がれてきた技術によって、今日の燕三条(三条市と隣の燕市)の金物・刃物製品は世界的に高い人気を誇っています。
燕三条の鍛治の歴史を存分に味わうなら、燕市産業史料館へ是非訪れてみてください。地域で育まれてきた歴史を知れば、包丁さがしが格段に楽しくなります。
岐阜県関市の恵まれた環境
岐阜県関市の刀鍛治の歴史はなんと鎌倉時代、800年以上前までさかのぼります。長い歴史の理由は、関市の恵まれた環境にあります。関市では古来、刀づくりに不可欠な水、炭、焼刃土(やきばつち)がとれ、そのどれもが良質でした。その環境を求めて多くの鍛治職人が移り住んだことから現代の一大刃物生産地へつながっています。
関市は日本の三大刃物産地であるだけでなく、世界の三大刃物産地 “3S” に数えられています。
- Sollingen(ゾーリンゲン・ドイツ)
- Sheffield(シェフィールド・イギリス)
- Seki(関・日本)
岐阜関刃物会館には、関の包丁を求めて多くのインバウンドが訪れています。みなさんも是非、お気に入りの1本を見つけてください。
大阪府堺市で出会う包丁の切れ味
大阪府堺市の刃物生産は室町時代に加賀国(石川県)から庖丁鍛治集団が移住したことから始まりました。当時は鋤(すき)、鍬(くわ)などの土工具が作られていました。その後1543年に、ポルトガル人から “たばこ” が伝えられたことを契機に堺の刃物は一気に全国へ知れ渡りました。たばこ葉を切る堺打刃物のたばこ包丁は切れ味が抜群で、堺の優れた鍛造技術は今も受け継がれています。
堺の包丁は全国的な評価が高く、プロの料理人が使う和包丁のシェアはなんと9割を占めています。
堺刃物ミュージアム CUTでは堺の刃物づくりの歴史だけでなく、包丁の選び方からメンテナンスに至るまでアドバイスがもらえます。歴史に触れ、実物に触れ、あなたの最高の1本を探してみてはいかがでしょう。
紡ぎ手:かいな